米メディア大手のトリビューンが破産法申請。
つまり、日本で言う民事再生法の申請。
マスメディアと広告という観点から今後どう
生きればいいのか少し考えてみたいと思います。
広告モデルの限界
今回の主な原因は昨年シカゴの不動産王に買収された
時に同社の資産を担保に資金調達した事による負債の
処理にあります。計画されていた保有球団の売却も
上手くいかず結果的に今回の金融危機の中で広告収入
の減少という事態に見舞われて万事休す。。
広告収入が新聞事業の売上高の7割超を占めている
同社では急激に冷え込んだ広告出稿に対する企業の
意欲を目の前に自主再建を断念させるに至ったと言う
ところか。
ただ、特殊な事情があったにせよ、広告市場に偏った
ビジネスモデルを持つ日本でも将来発生しうる事かも
しれません。
広告市場はGDPの約1%で固定
電通のデータ
(まとめサイト)をみれば分かりますが
日本でも広告市場はGDPの1%台です。つまりこれ
までの広告市場の成長は日本経済の成長と比例して
いた訳です。これからの日本の人口現象や経済の縮小を
考えれば純粋に考えても広告市場の規模は減少すると
予測されます。
ところが、この1%の市場を奪い合うプレーヤーの
数は激増しています。これまではメディアといえば
新聞・雑誌・ラジオ・TVといったマス4媒体で独占
していましたが、これからはネットやデジタルサイ
ネージといった様々なモノが参入してきています。
成長しつづけて入口に資金が殺到した広告市場は
出口(媒体)が小さいので利益率が高く、典型的な
保護産業です。ところが、今日入口に入る金額は
減るわ、出口は増えるわでガバガバな状態の中で
ペシャンコになりつつある、そんな状況です。
TVにCMを打ってもリーチしない
これまではチャンネルが限られた4つのキー局に
CMを出稿するだけで国民の多くにリーチできたので
電通や博報堂など大手の代理店を使って如何にCM
枠を信用で押さえるかが企業にとっては勝負でした。
ところが、現在は視聴者がTVだけでもCS、BS、
ケーブルとバラけてしまった上に、パーソナルメディア
の普及で「ながら視聴」も増えて、目的である
メッセージの伝達へのハードルは高まる一方です。
それでも、TVCMを打つのは今の経営陣や宣伝部長が
TV以外の手段を実感としてまだ評価できない世代が
占めているからでしょう。
マスメディア業界は石炭産業か?
さて、ここで似た産業をイメージして今後のあり方
を考えてみたいと思います。
エネルギー産業は「水力→火力(石炭→石油)→
原子力→クリーン?」と、めまぐるしくその形を
変化させて時代を生き抜いてきました。
その中で昭和初期には花形であった石炭産業は
一気にエネルギーの主役から離れ、炭坑の街の
多くは現在廃墟と化しています。
つまり、エネルギーに対する需要は高まる一方で
その生産手段は旺盛な需要に応える形で変化が
迫られたわけです。
バラ色の未来は広告市場ではなくメディアに
最近、デジタル化の議論の中でロングテールやコンテ
ンツの流通促進で市場規模が拡大するので広告市場は
今後ものびるという議論がされる事があります。
前述の通り国内では広告する企業側の考える消費市場が
伸びない以上は「広告市場」自体の大きな伸びは期待
できませんからこれはある意味、デジタル化の推進者に
よる意図したミスリードです。
メディア:
情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置
しかし、パーソナルメディアの発達による「メディア」
の未来に限定すれば、デジタル化推進による手段の
拡大は市場の拡大の可能性を秘めています。それは
メッセージを交換するというニーズが拡大し、コミュ
ニケーションとしてのメディアはこれからも様々な形で
発展すると考えられるからです。。
「装置」としての「手段」はこだわるな
その中で、マスメディアはこれまでの広告媒体ではなく
「メディア」を提供するサービス産業として生き残る
道が残されています。その装置はTVであれ、なんであれ
これまでの価値は薄れていますが、メディアそのものに
対する需要は高まっておりチャンスが存在します。
つまり、いつまでも「古い炭坑」のような装置やサービスを
展開するのではなく、新しいエネルギー提供の仕組みを
新しいテクノロジー(ネットも含む)から作り出す創造性が
必要です。
手段である動画やテキスト、音声などは誰もが世界中に
自由に発信できる時代になりました。しかし、目的は
これまでも変わりません。悲観的になるのではなく、
その道のプロとして、新しい技術を恐れず取り入れ
ながら先に進むのがマスメディアの残された道です。
廃坑から学べる事もあるはず。
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