このブログのタイトルが「元会社員の大学院生生活」なのに大学院ネタをほとんど書いていないという、まっとうなご指摘を知人から頂いたので、今回は表題にあるお話。
丁度、元同僚に大学院進学の相談を受けて話をしていたのでそれをベースに。不況やリストラで大学院を目指す方も増えていますし。
理想郷を求めて大学院へ
専門系の大学院に社会人入学した方の多くは、当然ですがなんらかの目的を持って入ってきます。そして、その多くは「今の生活の何かを変えたい」という向上心ともシンデレラ症候群とも付かない淡い期待。
学科にもよりますが、これ自体は悪いとは思いません。学生時代はロクに授業にも出ず、楽して卒業してきた文系学科の出身者(←私)もそんな願望を胸に、高い授業料を自腹で払って必至に学んでいたモノです。
ただ、そんな理想を胸に大学院の門をくぐると、大きな問題に直面しがちです。
「授業」と「研究」のギャップ
大学院は「研究科」ですので、授業(講義)で学ぶというより研究をする場です。当然、1人1人の主体性によって研究の進行は変わり、教授は「指導」してくれるだけです。
ところが、「何かを変えてもらいたい」という想いが強い院生の一部には「なにも教えてくれない」という不満など、外部に対する愚痴がこぼれ出します。
おそらく、この意識のズレは「何かを変えて貰いたい」と「何かを変えたい」という受動と能動の違いでしょう。
言われたことがよく出来た”優秀生”の悩み
日本の教育は「授業」が中心で、与えられた課題を早く正確にこなせる人材の成績が高く評価されてきました。そのため新卒時に「成績優秀」な人ほど「指示待ち」的な受動願望が強い気がします。これは毎年、私が新卒の社内研修講師をしている時に感じている事で、ここ数年の話ではありません。
その結果、会社でも上司などの十分な指示が来ないと「会社は自分の能力を生かしきれていない」と周りに不満を漏らし、さまよい続けて転職したり大学院にやってきたりする人が出きます。
大学院にもそんなこんなで、「様々な理由」を持った人材が集まっており、研究を「主体的にやりたい人」と「受動的にやりたい人」のズレが発生するわけです。そして、良くも悪くもそれぞれに影響を与えます。
学部卒と社会人入学組のズレ
また、専門系の大学院で必ず話題になるのが、知識・経験レベルのギャップです。
社会人入学組は当然、社会経験が豊富で「スレている」ため理想と現実をわきまえて行動しがちです。そして、自腹で学費を払いながら(または会社員を一時休止しながら)通っているため、研究への取り組みは熱心・・かと思いきや、学歴コレクターみたいに楽して学位だけ狙おうなんていう人もいて、両極端に分かれます。
一方、学部卒の入学組は新卒の就活に失敗した大学院進学という名の「リベンジ組」や、会社組織は肌に合わないと自称する「インテリ?」など、これまた研究が目的なのか??・・という複雑な方もいます。ストレートに言えば「就職対策」だったり「大学院生」というの社会的にカドが立たない世間体(せけんてい)が目的だったり。
学問の内容よりも学生の質にある程度左右される
結局、大学院での研究は、共に学ぶ学生がどのようなレベルのタイプが多いかによって大きく変わってしまうわけです。学部卒が多い研究科は”学部のノリ”が良くも悪くも続いてしまっており、社会人が多い研究科は柔軟な思考に欠ける・・。
今仮に、能動的な姿勢で大学院への進学を目指していても、自分の周りに同じ方向を目指して研究を頑張る学生が集まっているなどと過度な期待を日本の大学院にしてはいけません。
むしろ社会で生き抜いてきた人にとっては、「甘ちゃん」の集まりにしか見えないかも。
「会社生活に行き詰まったから大学院へ」はアリか?
社会人が大学院へ行き「大学院卒」という肩書きを手に入れても、何かが変わる事は無いでしょう。そして、「大学院で自身が何をしたか?」と言うことも、もしかしたらたして意味が無いのかも知れません。
むしろ周りを見ていると結局は大学院に入るまでに何を社会でやっていたのかが結構きいている気がします。
1から大学院で新たに勉強し始めていては時間が足りません。むしろコレまでの経験と知識をひたすら周りの方へ”持ち出し”しながら、足りないところや新しい部分を補うつもりで丁度良い気がします。
つまり、これまでの社会人経験や生活を「リセット」しようと思っている人ほど大学院での生活は厳しく、そして高いハードルが待っているのかもしれません。
この辺は大学院側が学科説明会などで話さないポイントです。学生が「お客さん」である以上、仕方が無いとは言え「あらぬ期待」を「可能性」と置き換えてミスリードしている感すらあります。
社会人院生の就職は転職活動と同じ
社会人入学で会社を辞めて大学院に入った院生の就職活動は、「転職活動」とアプローチが同じになります。つまり、入社4〜3ヶ月前に就職活動をしなくてはならないので学位論文を執筆する修了直前になってしまいます。
学部卒で入学した院生が入学後最初の夏休みからインターンなど就活を開始するのとは異なり研究に集中出来る環境であると言えますが、逆に言えば卒業のギリギリのタイミングまで”次”が見えません。
社会人の経歴はリセットできない
そして、これは私のエージェントからもよく言われてる事ですがどんなにあがいても「ご自身の履歴」はリセットできません。
つまり、社会に出て大学院に入るまでの経歴が大学院卒業した時の参考になる資料であり、大学で何を研究したかはあまり気にしていない様なのです。これまさに不都合な真実。
結局、書類選考がある以上、大学院で研究したことも社会人での職歴もタイムライン上は同等に扱われるわけで、大学院だけの結果を基に、人生一発逆転なんて事はよほどのことが無い限りあり得ないと。(ただし、コネは除く)
大学の入試レベルが高い大学院に入学する事は「学歴ロンダリング」としての価値は当然あるのですが、中途入社の市場では学歴よりも実力や実績がモノを言うので”履歴書の学歴欄が埋まる”以外にあまり価値はありません。
むしろ、社会人入試で入った院生の就職活動は、通常の転職活動よりもリスクが伴うわけです。ですから、大学院に入る前に、転職活動も合わせて行い、市場でのご自身の価値を一旦知っておく事をオススメします。
結論:少しずつ方向転換しかない
表題に答えがあるとすれば「人生は過去を背負っている以上リセットはできない」これに同じ。
まずは、何か目標や目的を持ってそれに向かって少しずつ方向を変えていく。その第一歩として大学院への入学を考えているならば、メリットはあると思います。
当然、卒業後も前職やこれまでの経歴の影響を受けます。ただ、それでも少しずつ方向性を変えていけば何れ目的地へたどり着けるはずです。
なので、ゆるやかな方向転換の一部として大学院への進学を検討するぐらいが丁度いいと思います。特に、不況の今は就職活動が難航すること必至です。
2年先の景気回復に賭けるというのもアリですが、社会人入学をご検討されている方は今の自分の立ち位置を見つめながら進学を検討されると良いと思います。
以上、思う事を書いてみました。
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